会報「北のみなと」No.51より |
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![]() 私のマラソンのきっかけは昭和48年帯広勤務時 代が始りです。当時職場野球のエースであった私の 親友であるOさんは、毎年春先になると自主トレー ニングとして近くの小学校のグランドを走り、体づ くりのためにランニングをしておりました。たまた ま彼と宿舎が同じであること、また私も野球部のマ ネージャーであったため一緒に走り出したのがきっ かけです。 |
しかし当時はマラソンというよりジョギ ング程度であったと思います。その後お互い転勤の ため一緒に走ることはなく一人で走ることとなりま すが、当時は現在のようなマラソンブームでもなく あまり路上を走っている人もいない時代でした。た まに走っても囲りの人の目を気にしながら走ってお りました。 | |
その後東京勤務となり皇居マラソンヘの
参加となります。職場には走る仲間が大勢おり、毎
週金曜日は「走る日」と決められておりました。私
にとってマラソンは初体験のようなものでした。毎
週走っているうちに私が体験したことは、走り終っ
た後の爽快な気持と冷めたいビールを飲みながら仲
間とのコミュニケーションが大変良ったと思いまし
た。 | |
その数年後旭川勤務となり配置された用地課での お話しでした。若い職員が大勢おり仕事内容は公共 事業用地の取得と補償というやりがいのある仕事で した。ストレスのたまるようなことも多く夜間の用 地交渉等で不調に終ると帰りに酒を飲む機会が多 く、このままの状態では健康管理上も良くないと思 いました。 | ![]() |
ある飲み会の場で若い職員に私が以前に
経験した走った後の爽快な気持、そしてたっぷり汗
を流した後のビールのうまさを話したところ、その
職員がマラソン大会参加を目指し走ろうと言い出
し、他の職員も賛同してくれた。職員の中には後日、
飲んだ勢いで賛同してしまったという者もいたよう
であるが…。 その後各自のトレーニングが始り毎年マラソン大 会に参加することとなりグループ名まで付け現在も 続いております。 旭川から札幌へ移った際も職場の若い職員を集 め、旭川と同じ様な方法で走る仲間を作り、現在は 旭川と札幌の人達の交流の場となり、年2回のマラ ソン大会に参加するまでに至っております。 マラソンは、確かに走った後の楽しみはあるが、 その日の体調により、走っている最中に何度も苦し くなる時があり、棄権しようかという気持になるこ ともあります。 この様な状態の時に自分に対し途中棄権するため の理由を考えると同時に、何んとか完走し爽快な気 分になろうという気持がぶつかり合う状態で走って いる場合があります。この様な時私は、やはり完走 した時の、目標を達成したという満足感とさわやか な気分、そして後のビールを頭に思いつつ走ります、 この様な気持で走ることにより苦しさ、辛さをじ っと我慢することの忍耐力も身についていくと思い ます。 私はこれからも走り続け、更に充実した日々を送 っていきたいと考えております。 ”ビールをおいしく飲むためだけではなく・・・。” |
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