会報「北のみなと」No.56より
 私は、今日(57歳)まで色々な趣味を聞きかじりし てきましたが、長く続いているのが「秘湯めぐり」と「お 硬い趣味」です。
 今回は「お硬い趣味」について述べ させていただきたいと思います。
 その硬い趣味とは、 単なる“石”収集ですが、その石とは、硬い言い方を すれば「自然美を連想させ心を山水風物詩の世界に遊 ばせる様な石」、柔らかく言うと「自然界の風景を想 わせる石、つまり、遠くの山の形や大海原の孤島、洞 窟、湖、荒磯、滝が流れる様などの石」です。
 その鑑 賞の仕方としては、石の底の凹凸に合った台座(木製) を作って据えて見たり、地板(平らな板)に載せて見 たり、水盤に砂を敷いて、その上に石を据えて霧を吹 きかけて見るといったものです。この趣味の世界では、 これらの石を『水石』あるいは『山水景情石』などと 言い加工を全くしない自然石です。その他に、色彩の 美しい石(美石)とか丸や三角あるいはオブジェ風と いった抽象石、動物や聖人などの形象石(姿石)も好 んでおります。大きさとしては、いずれも数センチか ら30センチ四方以内で質が硬く黒色系が一般に尊ばれ ています。

 この鑑賞石の歴史は古く、平安時代に中国より伝 わったという説もあり、現在、東南アジアなど九ヶ国 による国際鑑賞石展なども毎年もち廻りで開かれてい ます。国内には隠れ石ファンも入れて450万〜600万人 位の石好きがいると言われています。また趣味の月刊 誌も「愛石の友」など二誌が発行されております。
  私は、小学校高学年より河原や路傍の石に興味を 持ち始めて早や四十数年、途中何度か休みもありまし たが、三十歳代後半よりこの石の趣味がますます悦に 入ってまいりました。
 大方の人は、柔らかいものから 始まって最後に硬いものに行き着くと申しますが、私 の場合は、石歴四十数年の亡き親父の影響もあってか 始めから石でした。「健康とは身体を軽く感じる時で あり、不健康とは財布を軽く感じる時である?」とは 申しませんが、私は、長靴を履きピッケル(バール) を持って石でいっぱいになった重いリュックを背負っ て河原をほっつき歩いている時が一番健康的であると 感じています。また、河原で食べるオニギリの味も格 別で、日常のストレスも吹っ飛んでしまいます。

「遠くの山」の形をした水盤石 深石仲間(右側が筆者)
 年に何度か石仲間と京都や静岡、山梨などへ泊まり がけで採石旅行に遠出することもあります。(北海道 へ三年前に転勤して来る前は、本州から年に1〜2回 ほど計40回近く採石に来ておりまして道内の数十河川 に入りました。)そんな泊まりがけの採石の時は、40 歳代の後半辺りまでは、目的地の河原ばかりでなく夜 のネオン川での採石も楽しみのひとつでした。柔らか い色香石を相手に「小生、イシはイシでも産婦人科の イシ」などと仲間と冗談を言いながら飲む地酒は、と てもワクワクものでした。
 この水石趣味は一種の病気の様なもので、一度罹る と死ぬまで治らない人がほとんどで、その症状は初期 から末期的なものまで色々で、河原や沢など石のある 所にひたすら行きたがります。
 また、半月も河原に行 かないと禁断症状が出て来る人もおります。
 病人の主 な症状としては、河原に着くなり首の後ろの筋が切れ た様になって下ばかり見て歩き廻ります。その格好を 人によっては河原乞食の様だという人もおります。中 には、軍艦マーチなどを口づさんで、かなり入れ込ん で河原に飛び出す無粋な人もおります。

 末期的症状の 人たちをいくつか紹介しますと、まず、出張先で仕事 が済んで辺りはもう真っ暗というのに何んとしても河 原を覗いていきたいと町の電気屋さんで大きな懐中電 灯を買い込み、河原を照らしながら石拾いをしていた ら、時期がサケの産卵期だったためにサケ泥棒に間違 えられて、漁協よりの通報でかけつけた“おまわりさ ん" に職務質問され、夜の石拾いの行動をなかなか判っ てもらえず危うくブタ箱入りになりそうになった人。

  あるいは、あまり陽の当たらないジメジメした河原で の採石の際、石に付いたコケですぺって転ぶと危ない ということで、昔のワラジを思い付き雑貨屋にいった が今時ワラジなど置いてるぺくもなく、思案のあげく 仏具店に飛び込んで“亡くなった人に死出の旅用に履 かせるワラジ"を、それも三足まとめ買いをしたいと 言ったそうで店員が驚いて「お客さん、三人も亡くなっ たんですか?」、本人「何んにも聞かないで売って下 さい」、店員「それにしても仏様は一人一足なのに何 で三足も…」、本人小声で「鼻緒が細くて切れ易い から…」。

 こんな病人が私の周りにはいっぱいおり、 職種・年齢・男女を問わずお医者さんあり湯治旅館の 親父あり銀行マンあり、年に250日も石拾いに出かけ る葬儀屋の御隠居ありで、まともな付き合いはちょっ と控えたい御人ばかりですが、皆さん「石キチ」といっ た共通の病におかされてしまった人たちです。

 かく言う私も、町内では「花に水をかけないで石に ばかり水をかけている、あれはきっと新興宗教の教祖 だ」などとウワサされたり、また、石の表面にツヤを 出すために石を米ヌカで漬け込んで変な目で見られた り(当然かもしれません)、愛しさ余って石を抱いて 風呂に入りタイルにヒビをいれたり、湯舟の底を砂で ザラザラにしたり、狭い庭中を石だらけ(千個以上) にして「花を植えたり洗濯物を干す場所がない!!」な どと家族のヒンシュクを買っている次第です。

 この世の中では、「あいつは石頭だ」とか「石の様 に冷たい人間だ」などと「石」という文字は、とかく 減点法的評価に使われがちですが、せめて楽しい趣味 の世界では「石に花を咲かせる」が如く加点法的に石 の魅力を見出し、おおらかな気持ちで石にかじりつい ていこうと思っている今日この頃です。


家を囲むようにある石棚の一部分
(棚下に千個以上の石)