会報「北のみなと」No.57より
  コンビニでオニギリ2コとパン1コを買う。登山口には数台の車があり何人か登っている。登山靴の紐をしっかり締め軽くストレッチをしていざ出発、札幌近郊の山は何回か登っているので気楽に歩ける。

  登山にもマナーが有りますが前の人を追い抜くときは「おさきに」、下ってくる人とすれちがうときは「こんにちは」と一言かける。山は登りが優先なので基本的に登ってくる人に道を譲る、ゴミは必ず持ち帰る。これが最低のマナーで、これを守りながらマイペースで歩く。登りがジワジワときつくなり、全身から汗が出る夏は特にしんどい、息が切れ、ヒィヒィハァハァしながら、ただひたすら上に向かって一歩一歩足を動かしていると山頂に到着する。

  晴れていて周りの山々が見えればラッキー、曇っていれば残念、一休みして下山、登りよりは楽なのだが膝の調子がいまいち、様子を見ながら慎重に下り登山口に戻る。やれやれ、後は家に帰り風呂に入ってビールをグビー。 これが私の一般的な山行きで、いたってシンプルである。変化するのは季節それぞれの山の雰囲気です。

エゾイソツツジ

日高中央
カムエク稜線から見たピラミッド峰

 
今、どこの山へ行っても登っているのはオジさんオバさんが圧倒的に多く、よほど厳しい山でない限り若者は余り見かけない。 

  山はオジさんオバさんに占領されており、まさに中高年の登山ブームなのです。かく言う私も中高年の一人なのですが…。
  なぜ中高年の登山ブームになったのか? 少し戦後の登山の流れを見てみました。
  第一次のブームは昭和20年後半から30年前半で、世の中も安定し少しずつ山に目が向くようになり、31年にマナスル初登頂がなされ日本人初の8,000m制覇が引き金となったのですが、でも山へ行くのは一部の登山家の世界でした。

 
第二次のブームは昭和38年から 45年頃で、39年に東京オリンピックが開催され、それが契機に「見るスポーツ」から「するスポーツ」へと移ります。登山も例外ではなく大学、高校のクラブや会社のリクリエーションで山登りが盛んになります。この時期に何回か山に行った人もいるはずで、私もこの時代に山を初めました。

そんな中で、山でのシゴキ事件や遭難など3K(きつい・危険・汚い)イメージが生じブームが衰退していきます。

  そして、第三次のブームが平成に入ってから起こります。 
  右肩上がり経済社会に疲れ切った中高年が定年退職後山に生きがいを見出し、また子育ての終わった元気な女性陣が健康のため山登りを初め、さらに日本百名山ブームが今の中高年登山ブームに拍車を掛けることになりました。

  現在の登山人口は約500〜550万人ぐらいで、その内70%が中高年が占めています。
  話が硬くなりますが、私の山登りに戻ります。

  なぜ山に登るのかと聞かれますが、「そこに山があるから」と答えるとパクリですし、「山が好きだから」だと平凡すぎます。 ある本で人問の遺伝子は数万年前と変わっていないと言うのですが、社会は発展変化しているのに人間の体は原始人なのです。特に私には山に住む遺伝子が多いのです。そこで「原始人の遺伝子があるから」と答えます。納得していただけますか。
  最近は年間40回ほど山に行っていますが、平均すると月3回で、天気が良い週末は必ず山に出かけていることになります。
  週末が近づくと「今週はどこの山に行くの」と女房に聞かれます。山優先の生活パターンが家ではあてにされない状態になり、オヤジの権威は山に反比例して低くなる一方です。

  一年を通して雪が降ればパウダースノーを求めて山スキーに、春の硬雪の時期は登山道の無い山々に、夏から秋にかけては尾根歩きで数回は大きな山へ、真夏には沢に入りシャワークライミングを、このように山を十二分に楽しんでいるのです。 さて、いつまで山に登れるのだろうか。
  目標は80才までは頑張りたいと思っています。その時には「オジイさんは今日もぼちぼち山登り」を書きます。


平成17年7月 カムイエクウチカウシ山 山頂にて