会報「北のみなと」No.60より

詩吟との出会い

  私が坂本建設蒲尻出張所長の昭和57年頃、当時の稚内開発建設部沓形港修築事業所の食堂に"「偶成」少年老いやすく学なりがたし" と書いた紙を張って事務副長をしていた中島伸行氏が一生懸命詩吟の勉強をされていました。
  中島副長は、私に「松本さんもやらないか」と何度も誘われたことがあり、それが詩吟との最初の出会いでありました。中島氏は、現在社団法人日本詩吟学院岳風会北海道本部の常任理事として活躍されており、私には雲の上の存在になっいます。 
  その頃、私の地元、稚内の新聞に詩吟の岳風会員を募っている記事がふと目にとまり、酒ばかり呑んでいないで詩吟でもやった方が良いかなと思いましたが、稚内には詩吟の支部がありませんでした。その後、私は昭和60手2月に名寄支部稚内道場(代表 須藤和子、事務局 塩田哲三)へ入会しました。
  昭和60年6月に初めて4級の昇級試験を受けた時は、緊張のあまり舞台の上で足がガタガタ震えてどんな発声をしたかシッチャカメッチャカでした。
  平成10年1月名寄から独立して宗谷管内3番目、道内では52番目の小さな支部として、稚内支部を創立し、記念大会が稚内で開催され北海道新聞に記事が掲載されました。
   そして平成13年6月利尻道場を開き6名で発足、須藤、塩田先生が一生懸命努力しております。私は、仕事で利尻へ行ったとき指導者として会員との交流や会の普及に努めております。
   「継続は力なり」という言葉がありますが、まさにそのとおりで現在に至っております。

 詩吟のこと

  ここで詩吟のことにふれてみましょう。
  詩吟は腹式呼吸で、健康には大変良いことなのです。
  詩吟と歌(カラオケ)との違いは、歌とは言葉そのものの節に高低を変化させメロディーにします。詩吟は、吟ずるといって言葉の後に余韻の変化により詩の情感を表現します。よくイントネーションという言葉を聞きますが、抑揚の変化(上げたり下げたり) 緩急強弱をつけ詩境を表すもので、良く吟じた時には何ともいえない心境になります。勉強をすればするほど奥が深く今後も一生懸命続けたいもので、指導者として恥じない人生を送りたいものです。漢詩・和歌・俳句等ありますが、あまり固い事を書くと入会しようと思っても入会しないと困りますのでこの辺で…
  現在は、詩吟をはじめて22年になりますが、宗谷管内〜留萌管内、名寄、士別、旭川、札幌方面に吟友がおり各地区の大会には出席しコミュニケーションを深めております。

詩吟にまつわる話
1)栄英一(良山)枠ずれ俳句チャ リティーパーティー
(京王プラザホテル H9.3.13)

   栄英一さんとススキノで一緒に呑んだ時、酔った気持ちで俳句を詩吟として吟詠してくれないかと酒の勢いでOKしました。栄良山先生がつくられた多くの句からお題を二つ選び吟詠しました。


栄英一(良山)枠ずれ俳句で楽しく生きるチャリティーパーティー
平成9年3月13日 京王プラザホテル

1題、思母(しぼ)…病める母 離 れた俺の 昆布かな

内容は、飛騨の高山出身で昭和32年北海道に渡り、昭和36年に母が倒れるとの知らせをうけ、早く元気になってくれと体に良いといわれる昆布を送った事を思い出す。

2題、凩(こがらし)…凩らしを 衣はずして 待つけや木

  内容は、札幌犬通公園のけやきは寒さに向かって冬に立ち向かう、私も裸になって再出発。

 このチャリティーパーティーの司会はSTVの美人アナウンサーで、まさかこの様な大きな大会とは思わずビックリしました。一番前で赤いバラの花をつけさせられ何ともいえない気持ちでした。出席者は、北海道庁関係の知事代理、各部長クラス、北海道議会議員、各市町村長、当社の坂本齊社長などで後方に座っておりビックリ…「どうなってるんだ?」と思いました。坂本社長は「会社はこのような人ばかり雇用しているのかい?」と多くの方に冷やかされたそうです。益金200万円はボランティア事業に寄付した様で私としては一生の思い出です。

 2)稚内建設協会創立60周年祝賀会(H17.1.17)
祝賀会のアトラクションに出席し、2005年の幕開けとして不況に負けず力強く空手吟を披露しました。演武は、斉藤梁山様にお願いしました。

3)創立65周年第71回全道大会 (北海道厚生年金会館 H18.4. 23)
  この大会では、得意中の得意の爾霊山(203高地)を吟詠しました。
 舞台に上がると、やはり緊張で頭の中がすっかり真っ白になり少しつまってしまいました。残念ながらこういう事もあるんだなと反省しました。
  私は、中国に行って203高地を見てきました。戦争当時の軍事建物や戦争の爪跡が残っておりました。せっかく高いお金をかけて何の為に中国に行って来たのか、自分ながら情けない気持ちになりました。「猿も木から落ちる」という事がありその通りでした。

 4)横道に脱線したかもしれませんが
  増毛町の酒「国稀」乙その由来はご存知だと思いますが、明治15 年から明治38年、日露戦争の中でも最大の激戦地であった203高地争奪戦、多くは増毛出身兵士が銃弾に倒れ戦いの勝利」を手にするのだが、幾万の兵士を戦死させました。乃木稀典(まれすけ)元帥は軍人はもとより詩人でもあり多くの著書を出しております。増毛出身者が稀典元帥に命名を依頼して快く書いてもらいその筆跡は今も残されている。これをきっかけに明治40年増毛産の銘酒に「国稀」 の名がつけられています。

  最後に、私は詩吟のおかげで旅行に行っても、その土地々々に有名人の足跡が残されていることに感激しています。山口県萩市では、詩吟で有名な吉田松陰の墓前に礼拝してきました。

 「好きな言葉」
自分を信じて精一杯生きる、ひたむきにあるがまま明るく元気良く夢に向かって今日も一日頑張ろう

文部科学大臣認定
社団法人 日本詩吟岳風会北海道
本部認可稚内支部
松本 豊(誓岳)セイガク


創立65周年第71回全道吟道大会 (北海道厚生年金会館 H18.4. 23)