会報「北のみなと」No.62より

私の趣味について、またそれを通じて見えたものについてお話します。

   「トライアスロン」とは、2000 年開催のシドニーオリンピックでの正式競技として採用され、またここ近年のフィットネスブームの影響もあり、少しずつトライアスロン人口が増加しています。そもそも「トライアスロン」とは、ラテン語で数字の「3」を表す「トリ」と「競技」を意味する「アスロン」が合わさった、文字通り3 種目からなる複合スポーツで、発祥は1978年のハワイで、スイム・サイクリング・マラソンのそれぞれ凄腕8人のお酒の席で交わした会話が始まりだったといいます。
  3人は得意な種目について、「これほど過酷な競技はない!だから自分が1番だ!」と互いに譲らず、ならば3種を3人で同時に競い、真の1番を決めよう!という意地の張り合いが開催のきっかけになったと言われています。
  スイム 3.9q・バイク180.2q・マラソン 42,195kmの競技はその後アイアンマン(鉄人レース)と名付けられ、全世界に広がりました。日本では、鳥取県の皆生温泉で開かれているレースを最初に、1985年は宮古島、琵琶湖、1987年には私の地元、留萌管内での日本最長レース、オロロンライントライアスロンが開催されるまでに至りました。レースの普及とともに、スタンダードな距離が決められるなどスポーツとしての形態も整えられ、1982年にはバランスのとれた距離(オリンピックディスタンス)、スイム1.5 q、バイク40q、ラン10qのトータル51.5qが設定され、オリンピックをはじめ、世界選手権など世界の大会の85%以上を占め、鉄人レースと同様に開催されるまでになっています。

  ロングのトライアスロンに出会ったのは学生時代、地元に帰省した時のことです。あちらこちらの沿道に立てられていた通行注意を促す大会開催告知看板でした。トライアスロン?なんだろう?それが最初の出会いです。実際その年の大会は見れず、テレビ中継での琵琶湖大会が初観戦となりました。「これがトライアスロンか!なんで3種目なんだ?1種目で十分ではないか。」が正直最初の感想でした。しかし、ウェットスーツ姿の選手達が湖から次々とあがり、200kmもの距離を自転車で疾走し、フルマラソンを体力の限界まで、フラフラになりながらもゴールを目指す。そんな選手の姿にゾクゾクし、このスポーツは見るスポーツじゃなく、実際にやって見るスポーツだな。そう感じました。それまで地元の学校主催のマラソン大会、体育大会など、自分から進んでの種目参加等しない私が、地元で開催される大会だし、やってみたい!そう思ったのです。


軽やかに(?)疾走中!

  実際は、非常に地味な日々の練習から始まりました。運動をやめて数年が経ち、ほとんど体を動かす事もなく車に頼りすぎていた生活からの取組は大変でした。開始年齢が20代とはいえ、膝・腰に負担を掛ける事を恐れ、まずはウォーキングから始めました。毎日がマンネリにならないように数コースを設定し、時には早朝のすがすがしい時間帯、また時には夜の繁華街など、変化を付け飽きる事のないよう、また、気分の乗らないときには、スパッと止めることを心がけ続けました。 
  また、浜育ちの方ならお分かりでしょうが、潜るのは得意であっても、水面に沿って距離を泳ぐ事が意外と出来ず、ビデオを見ながら何日もプールヘ通い、息継ぎから手のかき方など、主婦に混じって慣れないスクールに入り我流フォームの矯正に励みました。
  バイクはそれまで乗ったことのある自転車とは全く違うスポーツタイプ。タイヤの細さ、フレームの軽さ、車輪の形状などに圧倒されました。唯一道具を使う種目な為、自分の体格にあったサイズのバイクをフルオーダーしましたが、サドル(椅子)の細さが体格と合わず、尿道を圧迫され排尿ができないくらいしびれる事もたびたぴありました。前に進むためのスムーズなペタリングには踏み込む以上に引き上げる事の重要さもわかりました。
  数ヶ月後には体力もつき始め、地域のマラソン大会へ参加できるまでになり、スポーツの楽しさを実感できるまでになりました。しかしそれ以上に、決して車窓からは見ることの出来ない隠れた情景も感じることができていました。厳冬に耐えた草花が春を待ち望んでいたかのように生命を主調しだす香り。春から夏にかけてギラギラを増す日差し。何処までも続くオロロンラインのかげろう。生命が宿っているかのごとく流れ出る暑寒の清水。日に日に冬の寒さを連れてくる低いグレーの雲。全てを覆い四孝の最後に白くリセットしてくれる雪。まさにありのままの素晴らしい景色、季節がありました。


ゴール目前!

そんな地元での大会、14年前に初めて出場した時に見えたものは、成し遂げた事への満足感、応援してくれたボランティアの方、協力してくれた関係者への感謝でした。それと、こんなにまで暑寒の山々が綺麗だったのか!夕日があんなに大きく赤く綺麗なものだったのか!なにげなく吹く風がパートナーになって背中を押し、ゴールまで運んでくれたんだ!と言う地元の素晴らしさと自然のカの偉大さでした。そんな素晴らしいロケーションで開催された地元の大会も、昨年平成18年の20回大会を最後に閉幕してしまいました。最後のオロロンライントライアスロンを終えて見えたものは、「地元に限らず、自分の周りにはまだまだ魅力的なものがたくさんあるということ。常に感謝の気持ちを持って全てに接すれば必ずそこから得るもの、感動がある。」と言う事でした。

   今後も色々な大会に参加し、トライアスロンと言うスポーツを通じて、自然からの恩恵、感動、感謝を感じ続け、足元にある限りない素晴らしさを自分の体で探し求め、1人でも多くの人に伝えていきたいと思います。