会報「北のみなと」No.63より

ゴルフにならず● 
  運輸省時代の昭和47年に初めてゴルフに出会った。航空無線標識所の草地であった。それから10数年は、函館、苫小牧、札幌で年に数回コンペに参加したがゴルフになっていなかった。
  苫小牧ではゴルフが盛んで、あちこち行く球を追いかけ、スコアカウンターを持って走ってばかりいた。スコアは200近いこともあった。表彰式は皆さん楽しそうだった。私は、成績発表を見るとバツの悪さで、疲れがどっと出たものだった。
  土木試験所でのコンペでは、スコアは150くらいだった。クラブを振るのは宿舎周りのトウキビ収穫後、ピッチングなどで茎をカットする時ぐらいだった。スパッとカット出来ると上手くなったような錯覚をしていた。軟鉄製のクラブは錆びて、ラウンド時に「錆びている。上手くなるには道具を大事にしなければ」と言われた。「紳士淑女のスポーツ」からはほど遠かった。

レギュラーツアー
 昭和60年に室蘭勤務となり、月に数回はコンペ等に参加した。練習もはじめ、120台くらいのスコアも出るようになった。錆びたゴルフクラブではなんとも格好がつかず、これでは恥ずかしいと反省し、クラブの本3冊を読んだ。低重心ワイドスポットが良いぐらいしか分らなかったが、クラブセットを購入した。当時のパターを今も使っている。小松原三夫の「基礎からのゴルフ」を読みながら、練習を心がけた。職場の人と帰宅前に会議室で素振りをしたりした。1年後には110を切るようになった。練習の成果が出てきて、この頃初めて、自然の中でのゴルフの楽しみを感じることが出来たと思う。


パーシモン最後の年に友人と。左が私。

そして、趣味にゴルフを加えることが出来た。
  昭和62年に札幌勤務となった。ゴルフが盛んな時で、年20回はラウンドした。90台のスコアも出るようになった。その後、苫小牧、室蘭、札幌、稚内、留萌ではラウンド回数は段々少なくなった。   

シニアツアー
  平成11年に公務員生活を終えた頃は100くらいのスコアがやっとだった。その年の秋に、奥弘冶さん(北路コムテック)とコンペで一緒になった。奥さんは優勝、ベスグロ、ドラコン等すばらしい内容であった。私のドライバーはパーシモンで、最新クラブとの差を痛感していた。コンペ終了後、奥さんに色々と話を伺った。 70歳という年齢を感じさせない若さと、ゴルフのすばらしさにすっかり魅了された。私も70歳くらいまでは、元気にゴルフを楽しみたい思いが強くなった。クラブをはじめ全てのものを奥さんのドライバーと同じ商品名のものにした。初めて聞く会社のものであった。クラブが合っているのか、腕を合わせたのか分らないが、時々ナイスショットも出るので満足している。その後、奥さんは、心技体が充実して達成できるというエージシュートもされている。
  少し他のことに時間をとられて、ゴルフから離れぎみで、成績も低迷していたが、平成15年秋に開発局港湾出身者のメジャー大会「みなと会」で自己ベストを出し優勝した。OBは出したが、トリプルなしは初めてで記憶に残るラウンドだった。

ホールインワン
   平成17年7月23日。暑い日であった。札幌芙蓉CC 中8番 160Y。「バンカーに入らなければいい」と放った打球は、ホールに近付くと、グリーン面が反射して見えなくなった。同伴の栢原英郎さん(日本港湾協会)の「入った。ホールインワンだ」を聞いて一瞬「面倒なことになった」と思った。前日の懇親会で岩田邦彦さん (西武ポリマ化成)から、ホールインワンの記念品を頂き、「私もあやかって何時の日か」とやり取りしたばかりだった。ミニコンペで「土曜日で良かったね」とか祝福を受け、偶然とはいえ「やった」という想いが沸いてきた。打球の軌跡は今でも脳裏に残っている感じがする。

今の目標
   ここ数年オフィッシャルハンデは、19から24を変動している。安くないプレー代と貴重な時間を使っている。人それぞれの楽しみ方があると思うが、私はしばらくはスコアを向上させたいと思っている。ゴルフはいつまでも何らかのチャレンジ精神を起こさせるものがあると思う。
  年に数回は80台後半やハーフ 41、42を出しているが、安定的に 90(±5)のボギーレベルにするのが当面の目標である。このためには、飛距離や良いショットを求めるより自分のショットなりにリスクを避けたコースマネジメントが一番重要だと思っている。
  そのため今年は、フェアウェイキープなどを心がけた。しかし、意外にスコアが悪くなり、目標レベルから5くらいオーバーしている。安全を重視し過ぎて、刻みが多くなり、元々思うようにならないショット自体の回数が増えたことによるものである。
  今年の反省から、今後はコースマネジメントを重視しながらも、積極的なショットを心がけたいと思っている。
  現在、「みなと会」と「おたる会」の世話役を仰せつかっている。最近は新規入会者が少なくなっている一方、私が目標としている70歳を越えても益々元気にコンペに参加して頂ける方が多くなった。出来るだけ多くの人と、健康と体力を維持しながら、自然の中で楽しく充実したラウンドを続けることが出来ればと思っている。
  ゴルフの楽しさを教えて頂いた先輩の皆さんに感謝して駄文を終えたい。


シルバーが目立つようになった「みなと会」