会報「北のみなと」No.64より

下手な横付け
  私の趣味というコラムに投稿の要請が入ったとき、はたと困ってしまいました。わたしの趣味…? どう考えても趣味などと言えるものがまったく思い浮かばないのです。今日までにずいぶんといろいろなことを体験こそしてきましたが、如何せん何一つ特出できるものが無く、所謂「下手な横付け」の典型人間だったようです。
 趣味が楽しむことの一つであると考え、入局してから今日まで楽しみながら体験してきたものを列挙して見ると、野球、ソフトボール、バレーボール、卓球、スキー、軟球テニス…等々で、皆さんがよく経験してきたスポーツばかりです。このうち野球だけは一番長く経験してきました。留萌では異業種集団の朝野球チームに入って楽しんだこともありましたが、さすがに早朝練習や試合の後の仕事が辛くなり、結局は途中でリタイヤしてしまいました。

ひょんなきっかけ
  趣味というには憚りますが、少年野球の手伝いを数年ほど続けてきたことがあります。
  きっかけは、次男坊が少年野球チームに入ってからのことでした。少年野球は小学4年生より入部できる規則になっていましたが、小学校3年生の時球拾いでもいいから入りたいと強くせがまれ、その熱い?やる気に負け、地域のクラブチームの門戸を叩き無理矢理入れてもらいました。
  当然 4年生になるまではユニフォームも与えられず、ひたすら球拾いや道具の整理整頓などの下働きばかりでしたが、準備運動のランニングやキャッチボールには加えていただきました。無理強いした手前もあって、チームに迷惑を掛けることがないようにと思い、できる限りグランドに出向き、我が子の粗相無きよう管理監視に努めていました。そうこうしているうちに、監督から外野の守備練習のノックを突然頼まれ、それなりにこなしたのが運の尽き(付きかな?)となり、結局コーチとして手伝うことになりました。


右後方が少し若い頃の筆者

少年野球
 
少年野球といえば、小学校の運動会のようなもので、親たちは我が子のプレーに一喜一憂して興じる。一方では、ミスプレーした子に監督やコーチから容赦ない叱咤が浴びせられる。それでも無我夢中になって白球を追いかける健気な子供たちの姿、そんな印象を抱いていました。そんな健気な子供たちに楽しくも厳しく指導していけるのか、まったく自信がありませんでした。しかい学年足らずの我が息子を無理に頼み込んだ手前もあり、ここで逃げるわけにはいきません。コーチの役目は、練習時のランニング、体操、キャッチボール、バットの素振り、内外野に分けた守備練習を監督と一緒になって手伝うことと、試合時には子供たちをマイカーに乗せて球場まで移動させたり、道具類の準備と試合前の準備運動と軽いキャッチボールをさせたり、試合に入るとスコアラーになりつつもペンチ入りした選手たちにアドバイスすることでした。
  実際にお手伝いしてみてわかったことですが、野球という団体スポーツを通して上下関係とチームワーク、感謝、礼儀、挨拶、努力と精神鍛錬など社会に貢献する人材育成を第1として、勝利は二の次です。しかし入ってくる子供たちは格好いいプロ野球選手のようになりたいとか、お父さんに無理矢理入れられた子、小さいときからお父さんと一緒に野球をやってきた子など様々な思いで入ってきます。しかし、思いと指導方針とに隔たりが生じて2〜3ヶ月で辞めてしまう子もでてきます。

きついなかでの喜び
  少年野球に係わった期間は平成 6年から平成10年までの4年弱の間でした。この間の職場は札幌に家族を残しての初の単身赴任となった留萌2年とその後の函館で、毎週の帰省は結構きついものでした。練習は、平日の月曜日〜金曜日の間が自主トレーニングでランニングや体操の他にキャッチボールなど行われ、土・日・祝祭日にはグランドを使った実践向けの練習や試合など行われます。試合のある週末にはできるだけ出れるように仕事を進めるのですが、現実的にはなかなか思う通りにいきません。結果的に、日曜日だけのお手伝いになることが多く、時には日曜日の早朝に札幌へ帰り、夜に戻るという強行軍も結構ありました。それでもチームの子供たちの顔を見たい一心と自分を待ってくれている子供たちの姿を思い浮かべながら帰る運転は楽しいものでした。
  振り返ると、子供たちに教えている自分が子供たちと一緒にプレーし、童心にかえれることの喜びをもらったり、健気な姿から教えられたことも多々あり、子供たちに感謝せずにはいられません。いくら厳しく怒られても、できない自分に涙するが、決して投げ出したりいじけたりするようなことはありません。そんな真撃な子供たちの心と煌めく瞳のなかに自分の姿を写すことができた少年野球は、もし趣味が己を癒し磨くためにあるとするなら、自分にとってこのうえない趣味だったのです。


少年野球教室で桑田・立浪選手と記念撮影

叱れる快感
 
 最近、町内の悪ガキたちを怒れる大人がいなくなったとよく言われています。

  町内会主催の盆踊りとお祭りの時に2度ほどあったことですが、歩く先に頭を金髪に染ゆ派手な格好で子分とおぼしき年下の男の子を3,4人引き連れ、肩で風を切るように歩いてきた子が元クラブチームの男の子でした。私と目が合ったとたん、「あっ、コーチ] と気まずそうな表情に変わり、急に姿勢を正し挨拶代わりに頭を下げる。「なにを格好つけてるんだ、この馬鹿もん!」と一発罵声を浴びせる。その途端に、元の子とコーチの関係にトラウマならぬフラッシュバックしている。お構いなしに「そんなチンピラみたいなまねして、チームのイメージを下げるようなことするな!そんな暇があったら、練習の手伝いにでも来い!」と叱咤する。数日後の日曜日に練習をのぞきにホームグランドヘ行くと、その子が監督のノックしたボールの返球中継を後輩に声を掛けながら手伝っている。顔を合わせると元気な声できっちりと挨拶を返して笑顔をみせる。自分より体格が大きくなった元チームの子でも叱れる。元おじさんコーチの冥利につきるとひとりほくそ笑む。